孤独な鬼の生き様に自分自身を見る

セリフが無く、音楽と効果音と演者のみの舞台は、物語の没入感が半端ない。
日本を代表するノンバーバル劇団と言えば、大阪に本拠を置く壱劇屋だ。
2018年の夏、壱劇屋さんのワードレス舞台『独鬼』を観劇したときの胸の高鳴りは今も忘れることがない。

劇場に入ってまずびびったのが舞台真ん中に立てられた巨樹である。
黒墨で迫力満点に彩色がしてあるのだが、正面に描かれている幹の洞はどう見ても女陰を象徴しているようにしか見えない。みんな気づいているのかな?と疑問に思いつつ、暗がりとともに舞台が始まった。

冒頭の年老いた女性が巨樹の側に座り、拝むところでなぜか、胸にグッと来た。
なぜだ?
そう、どことなく死を予感させる寂しさが伝わったからだろうか。

不死の独鬼と、いつかは死ぬ定めがある人間との関わりを、とても繊細な描写で演出されていて、それが激しく見事な殺陣と相まってメリハリのある舞台を楽しめた。
何よりも物語がとても良かった。

人から恐れられ、近づけば逃げられる、孤独の中で永遠に生きる鬼に、守るべき存在が現れた。
鬼はその存在に近づく悪い人間から守るため、ただひたむきに戦い、走り、隠れることを繰り返す。
しかし、いつしか守っていた存在が、いつの間にか自分を守っていた存在だったんだと気がついたとき、その存在の生命の花が枯れようとしていた。

独鬼

セリフは一切無い。
でも聞こえてくるのだ。鬼の声が。演者たちの話す声が頭の中に。
だから涙があふれてちゃんと見られないぐらい舞台に没入した。

そして気がつく。
観ている私は、舞台上にそびえ立つ巨樹なんだ。
巨樹の精霊として、独鬼と人間が時を隔てて綴る物語を見守っているのだ。

なんだか自分の人生とシンクロする部分がとても多くて、たくさん泣いてしまった。
思えば神仏切り絵作家として歩む私も、孤独な人生を過ごしているなと。
がむしゃらではあるけれど、報われるのか報われないのか、どうなるかもわからない先の未来を信じて、不安に怯えながらも今を生きている。
世界の人々が幸せな祈りと笑顔に満たされる穏やかな社会の実現のためになるような作品を作ると、大きな夢を目標に打ち立てているけど、こんな孤独で邪鬼のような私に実現できるのか?人の役に立てるのか?
つねに不安に怯えてしまうのだ。
でも、その中で応援してくれる人もいて、大きな励みになる。続けてもいいんだ、生き続けてもいいんだと思える瞬間がある。

劇団壱劇屋 独鬼

カーテンコールで独鬼を演じ、舞台を作り上げた竹村さんの言葉がとても印象に残った。

「人生に一人は命がけで守らないといけない人が現れる。
人生に一人は命がけで守ってくれる人が現れる。
両親や親しい人以外に、そんな人が絶対に現れる。
そう信じて生きてきました。」

・・・この言葉に感動した。
そしてなんて素晴らしく力強いコンセプトなんだろうか。

画像の無断コピー禁止!Prohibition of unauthorized copying of images.