海北友松という名前を聞いても、誰それ?って感じで最初は全くピンとこなかった。

しかし、建仁寺の龍の襖絵と聞くと、俄然興味が出てきました。

友松は、もともと武士であったこともあり、武士の描く絵という観点で想像すると、どんな表現がなされているのか? とても興味が出てきました。

しかも、活動したのは安土桃山時代から江戸初期の戦国時代です。

言い換えれば殺人が日常的にあり、死と生がすぐ側で生々しくある中で、どのように感性が育まれて、絵の表現へと転化されていったのだろうか?

そんなことを想像しながら、海北友松の絵を観たくなりました。

生まれ変わった京都国立博物館にて

2017年5月21日の日曜日、この日が最終日となる「開館120周年記念特別展覧会 海北友松」へ行ってきました。

15万人もの観覧客が訪れているという展覧会だから、その最終日はさぞかし混むかもしれないと、ちょっと早めの開館前に到着できるように出発しました。

さらにこの日は夏日とあって、夜が明けてから気温がグングン上がり、博物館前の行列に並ぶだけで汗がじっとりと滲みます。

しかし予想していたよりは、そんなに混んではいません。館内に入ってからも、ゆっくりと絵を鑑賞することができました。

今更ですが、京都国立博物館がリニューアルしてはじめての訪問です。

なぜか、「京都国立博物館は混む」「行列と待ち時間がすごい」という先入観があって、話題の展覧会があってもなかなか足が向かなかったのです。

旧館のちょっとかび臭い館内も趣があって好きなのですが、黒を基調にした新しい館内は、美術鑑賞をするにはよい雰囲気です。

海北友松展

海北友松はテナガザルを実際に見たのか?

近江浅井家の家臣・海北綱親の五男(もしくは三男)として生まれ、幼い頃、東福寺に喝食として入ったものの、浅井家が滅び、還俗して狩野派の門を敲き、画の道に進んだと伝えられています。

絵には、狩野派の特長でしょうか、直線的な筆使いを駆使して描かれています。

「柏に猿図」を観てふと思ったのが、あれ?日本にテナガザルはいなかったよなぁ。中国の絵か、何かの影響を受けて描いたのだろうか?

普通にニホンザルを描くより、テナガザルを描くほうが、手が長い分、ゆったりとした動きを感じます。

その辺の計算もあったのでしょうか。

水墨画といえば中国の古典?の謎

友松が残した水墨画で今回展示されているものには、中国の古典を題材にしたものが目立ちます。

水墨画と言えば、中国の古典・・・なんだか日本人絵師は、この呪縛にとらわれているような気がしてなりません。

友松晩年の作品には、日本の自然を自分の個性で消化して表現しているけど、それまでは表現方法の模索が続いているような印象を受けます。

日本にも水墨画の題材にできるような古典もあるし、日常の変化の激しい戦国時代であればなおさら絵の題材には尽きることがないと思うのです。

武家の視点で、様々な物語を描けるのではないでしょうか?

ただそれも、絵師が描きたいと思わないと描けません。

もしくは、絵の発注の制約があって、注文に応じてしか描けないのか、それは絵師本人の立場と制作姿勢があることなのでわかりません。

友松が本領発揮するのも60代を越えてからなので、やっぱり中国古典の呪縛があったのかなぁと考えてしまいます。

建仁寺大方丈障壁画

今回の展覧会は、この建仁寺の雲龍図を目当てに観に来る人も、かなり多いのではないでしょうか。

雲龍図をみるだけで、もう満足してあとは素通りという声もちらほら聞こえてきそうです。

対をなした二頭の巨龍は、雲間に見え隠れして、本当にそこでうごめいているような躍動感を強く感じます。

巨龍がうごめくことで発する雲の渦が、破壊的な迫力を演出してとても良いし、とても不気味で怖さを感じさせます。

そして友松の作品は、描く画面が大きくなればなるほど、その本領を発揮する絵師だと思います。

小さい画面だと、その範囲内に描きたいものを全て収めようとして、ちょっと構図に無理がある絵が多いなぁと感じます。

雲龍図

妙心寺の金碧屏風

今回の展示で一番豪華だと思える作品は「妙心寺の金碧屏風」でしょう。

金の屏風に描かれた、色鮮やかに咲く誇る牡丹の花々。

花びら一枚一枚に気を配って、とても丁寧に、そしてリアルに描かれています。

葉の緑色も、とても鮮やかです。

そこに友松の持つ「気迫」「迫力」がミックスされて、華々しさの中に力強さを感じました。

暗闇に浮かび上がるうごめく龍

ここまで見てきて、「海北友松は龍の絵が代表的なモチーフなんだから、龍の絵でもっと固めればいいのに」と思ってきました。

会場内はいくつもの部屋に分かれているのですが、その中でも一番暗い部屋があります。

そこには、友松が描いた龍の絵が集められていました。

これは「さすが、博物館の人はわかってるなぁ」と嬉しくなりました。

暗闇から、最小限の照明が絵にあてられて、浮かび上がる龍の姿は、本当に迫力満点です。

薄暗い寺のお堂などでみると、こんな感じなのかなとも思います。

このような演出をしてくれた博物館にも拍手です。

龍は、頭が駱駝、角が鹿、目が鬼、耳が牛、体が蛇、腹が蜃、鱗が鯉、爪が鷹、掌が虎に似るとされる想像上の動物です。

多くの絵師が描いている題材だけに、龍の姿を自分なりにどう消化して、独自の表現へと描いているのか、そこが見どころです。

海北友松の描く龍は、本当に迫力満点です。

龍の容姿は、飛び抜けて個性的というわけではないですが、雲の渦や動きの演出は友松独自の描き方だと思います。

空気を描いた作品に

最後に展示されていたのは、アメリカのネルソン・アトキンズ美術館に展示されている「月下渓流図屏風」です。

無駄な要素を全て省いて、ただそこにある風景の中で、伝えたいものだけを超シンプルに表現しています。

この作品だけは、博物館で観るのではなく、和室の中で1人で対峙したいと思いました。

静かに座ってこの絵と向き合った時に、何を思うのだろう?

それこそ、空白の中に、様々な自然の風景が湧き上がってくるようです。

書の展示には課題を感じる

海北友松の書いた書もいくつか展示されています。

いつも思うのですが、書に関心がある、書の魅力を知っている人ならいいのですが、なかなかそういう人っていないと思います。

書は、「何が書いてあるのか?」という書の意味を知ることや、「文字姿の美」というタイポグラフィとしての魅力を知ることなど、展示されている書のどこを見てほしいのか? 何を知ってほしいのか?ということを明確に伝えるものがないと、なかなか理解することは難しい。

僕も、どう見たらいいのか?何を読み解けばいいのか? それがわからないのでほぼ素通りでした。

この辺は、ちょっと初心者向けに展示方法を考えてほしいなぁ。

最後にひと言

「開館120周年記念特別展覧会 海北友松」を観終えたわけですが、全体的に振り返った時に、ところで海北友松って誰? という気持ちをもってしまう。

人間像をもっと掘り下げた展示にしても良かったのかなと思いつつ、謎は謎のままにしておいたほうが良いだろうという気持ちもあります。

見事な雲龍図の実物を間近で観ることができただけでも、今回の展覧会に来た意味はあると思います。

他の作家の描く雲龍図も展示して、比較できるようにするともっと面白かったかもしれません。

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