高野山奥の院(和歌山県)その2~真言密教の霊域で自然に還る儚さと尊厳を観た

高野山奥の院(和歌山県)その2~真言密教の霊域で自然に還る儚さと尊厳を観た

幾年もの風雪にさらされ、雨と湿気の中で様々な命が石に宿っていく。
なんて尊いのだろう。
墓石も石仏も所詮人間が造った作品にすぎず、永遠にその姿を留めることはできない。いつかは高野山の土に還る日が、長い年月をかけてやってくるのです。

それを無常という人もいるだろうが、決してそうではない。墓石や石仏は長い年月の中で祈りを受け止めることによって生きた存在となります。
やがて参る人もいなくなり、役目を終えたとき、少しずつ高野山の自然に同化していくのでしょう。

目次

長い年月を経て高野山の自然に還るものたち

浄土宗の開祖である法然上人の墓
極小のカタツムリ
不動明王
優しさを感じる不動明王、修行者のようにも見える
緑の世界に埋もれてしまいそうな雰囲気が漂う
高野山奥の院 一の橋
一の橋

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