上手な絵の描き方は、現実に見えているものに真面目に向き合わないこと

上手な絵の描き方は、現実に見えているものに真面目に向き合わないこと

絵のトレーニングとしてデッサンがありますが、これは見えているものをできるだけ忠実に描きとることで、モノを見る観察眼を養い描きとるスキルを向上させることができます。絵画の基本の「き」を知るための行為だといえます。
しかしデッサンは準備運動やストレッチにあたるものです。実際に作品として絵を描くときは、目の前に見えるものは「イマジネーションを喚起するための素材」にすぎないことを理解して置かなければなりません。

想像することこそ個性の源

芸術の世界では「見の目弱く、観の目強く。」とよく言われます。つまり「ものは見るだけじゃなくてよく感じろ」ということです。
例えば雲ひとつ無い空を見上げたとしましょう。そして空を描く段になって、青一色の絵の具をペンキ屋のごとく平坦に塗る芸術家はいないでしょう。
ある芸術家は、青い空の中に赤や緑を観るかもしれないし、風の形を観るかもしれないし、100人の芸術家がいれば100通りの観方で想像力を働かせて絵を描いていくでしょう。
そして筆で描くと言っても、筆運びも対象をどのように観ているかで変わってくるから、こちらも千差万別です。

こんな考え方は、普通に学校で美術を学んだ流れで絵を描いている人には邪道に映るだろうし、何を言ってるんだろうバカバカしいと思われるでしょう。
個性は誰にも生まれ持った性格が土台となり、それをさらに観る目を強く鍛え続けることで芸術的な個性へと確立していきます。
そこに至るまでは、自分自身に対して迷って悩んで苦しんだりしますが、その先に開く揺るぎない個性という輝きを得るためには必要な仮定です。

それではデッサンなんて準備運動しないで、いきなり個性探求に走ったほうが早いのではないか?と思うかもしれません。
しかしそれができる人は、本物の天才です。私はそんな人に出会ったこともありません。

デッサンは絵描きの芯になるようなもの。迷ったときにいつでも戻れる原点です。ここから枝葉が伸びてやがて花が咲き、多くの種を生むのです。

デッサンをしていないのに個性的な芸術家がいるじゃないか、と言う人もいるかもしれない。しかしその芸術家は物心つく前から脳内でデッサンをしている、生まれた環境が育んでいる無意識のデッサンをしているはず。子供時代なら「落書き」と言ったほうがいいかもしれない。
そうした準備運動をする習慣があれば、あとは自分を開放して想像力の赴くままに描ききることです。

「観の目」を養う環境は、まわりにたくさんあります。そんなものは無いとか、難しいと感じているなら、まだ「観の目」が未熟なことと自己否定感が強いのです。「観の目」は自分を容認して、あらゆることを許し解放しなければ育むことができないのです。

仏教の教えに「一切は空」という考え方があります。自分の五感で見えているものは幻であり、実は存在していない。自分という存在でさえも存在しないのだということですが、それを知った上で何が観えるのか?何を観るのか?という気持ちで絵筆を持ったときに本来の芸術的な個性が表現できるのでしょう。

自分を縛らないこと、気持ちを解放することが絵が上手くなるコツです。

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