祭りが中止される年に祭りのことを考えてみる

祭りが中止される年に祭りのことを考えてみる

2020年は毎年当たり前のようにあった有名な神事が中止となり、毎年普通に行われていたことは奇跡なんだなと感じています。
多くの人々が毎年楽しみにしている「夏のお祭り」。京都では祇園祭の山鉾巡行があります。
今年は中止となりましたが、祭りの意味を考えるよい機会となるのではないでしょうか。

神を肌で感じて、魂のエネルギーを発散する場

祭りと聞くと心がワクワクとしてきます。たくさんの屋台、そこに集まる多くの人々、そして場が最高潮に達したときに神輿に担がれた神が現れて群衆が一体となって乱舞する。
その行いが途切れること無く、毎年行われて人々が土地の神と一体になれるよい機会だった。
人々は祭りという行事を目的に神仏を身近に感じて、神仏のもとに生かされていることを再認識する機会を楽しんでいます。
それが世界共通のことかどうかはわからないけど、日本人が機会あるごとに祈る姿の原点は祭りにあるのではないかと思っています。

祭りが行われる場で、多くの人々が目に見えないエネルギーの存在を肌で感じることでしょう。それは神様のエネルギーだとか、仏様のご利益なんだとか、感じ方はそれぞれですが、何かしらのエネルギーを無意識のうちに受け入れているものです。
でも日常の暮らしでそれを言われても、「何か怪しくないですか?」と信用してもらえないだろう。それよりも「私は私であり、一切の信仰を否定する。信仰は無意味だ」と言われるだけです。
一般的に人は自分が理解できないことの一切を否定します。それは自分の身を守るための自己防衛本能によるものかもしれない。
でも、どんなに否定しても事あるごとに人は神仏に祈るのです。
祈りの集約が祭りという形になるのです。

祭りが中止される年に祭りのことを考えてみる

私はその無意識からくる魂のエネルギーを切り絵で表現します。
人々が目に見えなかったエネルギーを形に創造しましょう。それが切り絵師秀多の役割なのですから。

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